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「あの頃の俺とあのゲーム」、レトロゲーム文献書評などなど
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(「ストリートファイターIIの罪(その1)」からの続き)

 スト2に代表される対戦格闘ゲームは人対人のゲームである。勝者はそのままゲームを継続できるが、敗者はゲームオーバーになり再度100円を投入する必要があった。プレイヤー側の「うまくなればゲームが長くできる」というルールを守る一方、店は高いインカムが期待できた。
 その頃各店は「シューティング1台置くスペースがあったら、スト2を置け」という風潮があったという。当時スト2の基板は20万円ほどするものであったが、店に対戦台を置けば2週間~1ヶ月程度で回収できるほどの売上げがあり、店に置きたくてもゲーム基板自体の生産が追いつかず入手困難であった。ゲーム各社は二番煎じを狙って、対戦格闘ゲームを製作するようになった。類似品訴訟問題(DECO「ファイティングヒストリー」)もあったほどである。
 そして本家カプコンも、うちが対戦格闘ブームの火付け役だとアピールするが如く続編等を出すようになった。

 その頃になると、店には対戦格闘ゲームがあふれ、シューティングゲームなどは店の隅に追いやられた。シューティングゲームの新作が出ても、それを置く店も少なくなってきた。シューティングゲーマーとしては特定の店に行かないとプレイできないゲームに、攻略欲も減少した。

 良作R-TYPEを作った、IREMをはじめ、各社がシューティングゲームの製作を控えはじめた。

 ・・・・そしてあのショックな出来事は起こった。

 1994年東亜プラン倒産事件(別に事件でもないが)である。

 東亜プランと言えば、飛翔鮫、究極タイガー、鮫!鮫!鮫!、達人など、シューティングゲーマーを唸らせるシューティングゲームを提供してきた会社である。

 シューティングゲーマーは皆1つの時代の終わりに涙を流した。

 (「ストリートファイターIIの罪(その3)」に続く)
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