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「あの頃の俺とあのゲーム」、レトロゲーム文献書評などなど
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今日、アミューズメント通信社よりダイレクトメールが届いた。

「アーケードTVゲームリスト発行のご案内」

・・・・むむむ。

こないだ同社のWebをみたときは「アーケードTVゲームリスト」について掲載がなかったのでAmazon.comで注文しちゃったよ、、、。

まぁ、どっちで買っても物は一緒なんだけど、できれば直販のほうがよかったかな。
だって、エールを送ってるみたいでしょ。
(僕のちょっとしたこだわり ^^; )
それに前回「それポン本」のときの梱包は真心を感じました。

(同社リンク先は「ここ」)
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 アミューズメント通信社より赤木 真澄氏の「アーケードTVゲームリスト」が発売されるらしい。

 同著書「それは「ポン」から始まった」(通称「それポン本」)が発売されたとき、僕は即買いした。

 過去、ゲームリストにレビューを加えた程度のビデオゲーム史本は数多くあった。しかし「それポン本」はそれらと一線を画し、日本で唯一の真のビデオゲーム史本とも言える。僕を含む多くのビデオゲームファンが子供の頃にゲームに接してきたのとは異なり、ビデオゲームに仕事として関わってきた同氏が、ライフワークとして心血を注ぎ込んだとも言える内容である。

 この「それポン本」のあとがきに語られているのだが、当初、業務用TVゲームのメーカー別全リストを「それポン本」の巻末に掲載する予定だったらしい。しかしながら、「それポン本」自体が500ページを超える分量となった為、それは断念された。

 今回発売される「アーケードTVゲームリスト」も手にするのが楽しみだ。



僕はゲーム音楽が好きだ。

ゲーム音楽はゲームをやっていない人にとっては興味のないものだと思う。

しかしながら僕ら深いアーケードゲームファンにとってそれは感情の扉を開ける鍵だ。

ゲームでのボスとの対戦時は、自然に緊張感が高まり、集中力が増す。
また、難しかったゲームをクリアしたときのエンディングには安堵感さえ覚える。

その感覚が自分の体と精神に染み付いていて、そのときの音楽を聴くことによって呼び起こされる。

集中力を高めたいときはボス戦の音楽を。
安らぎたいときはエンディングの音楽を。

ゲーム音楽だけを聴いてるほどマニアックではないが、他の音楽に飽きたときにゲーム音楽を聴くのは楽しい。



(「ストリートファイターIIの罪(その2)」からの続き)

 インベーダー誕生史から点数を稼ぐことが主な目的だったビデオゲームは、相手に勝つことが目的となった。全国のゲームセンターのハイスコアを集計していたマイコンベーシックマガジン(通称ベーマガ)「CHALLENGE HIGH SCORE!」も意味を成さなくなりつつあった。全一(全国1位)常連ゲーマーも姿を消し始め、1999年にはその集計の幕を閉じた。

 ゲームセンターの客層が変わりはじめた。

 従来、ゲームセンターには、1人でふらっと入っても100円さえあれば遊べるものが数多くあった。しかしながら店には対戦格闘ばかりが置かれ、技の出し方さえもわからない初心者はコインの投入さえも躊躇せざるを得ない状況になった。一般客とマニアが共存してきたゲームセンターは、対戦格闘マニアばかりになっていった。

 以前と客層は違えどインカムも増え、ゲームセンターも水を得た魚のごとく活気付いて安泰のように思えた。

 だが、相手がいてこその対戦。対戦格闘ゲーマーはより強い相手を求め、他のゲームセンターへ移動し、強いプレイヤーのいないゲームセンターは廃れていった。旧来からのゲームセンターには廃業になる店も少なくなかった。

 そして現在、技の出し方が複雑化したものや、3D化された対戦格闘へと受け継がれていくことになるがインパクトは弱く、マンネリ感さえ覚える。

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 偉大なる大木。
 大木は敬われ、村の神と崇められることがある。
 しかし大木の日陰で枯れていく草木があるのを忘れてはならない。

 スト2は輝かしい賞賛の裏で、古き良きアーケードゲーム文化を滅ぼした大罪を背負った。

 
(「ストリートファイターIIの罪(その1)」からの続き)

 スト2に代表される対戦格闘ゲームは人対人のゲームである。勝者はそのままゲームを継続できるが、敗者はゲームオーバーになり再度100円を投入する必要があった。プレイヤー側の「うまくなればゲームが長くできる」というルールを守る一方、店は高いインカムが期待できた。
 その頃各店は「シューティング1台置くスペースがあったら、スト2を置け」という風潮があったという。当時スト2の基板は20万円ほどするものであったが、店に対戦台を置けば2週間~1ヶ月程度で回収できるほどの売上げがあり、店に置きたくてもゲーム基板自体の生産が追いつかず入手困難であった。ゲーム各社は二番煎じを狙って、対戦格闘ゲームを製作するようになった。類似品訴訟問題(DECO「ファイティングヒストリー」)もあったほどである。
 そして本家カプコンも、うちが対戦格闘ブームの火付け役だとアピールするが如く続編等を出すようになった。

 その頃になると、店には対戦格闘ゲームがあふれ、シューティングゲームなどは店の隅に追いやられた。シューティングゲームの新作が出ても、それを置く店も少なくなってきた。シューティングゲーマーとしては特定の店に行かないとプレイできないゲームに、攻略欲も減少した。

 良作R-TYPEを作った、IREMをはじめ、各社がシューティングゲームの製作を控えはじめた。

 ・・・・そしてあのショックな出来事は起こった。

 1994年東亜プラン倒産事件(別に事件でもないが)である。

 東亜プランと言えば、飛翔鮫、究極タイガー、鮫!鮫!鮫!、達人など、シューティングゲーマーを唸らせるシューティングゲームを提供してきた会社である。

 シューティングゲーマーは皆1つの時代の終わりに涙を流した。

 (「ストリートファイターIIの罪(その3)」に続く)
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